
匂いがもたらす安らぎの時
大切にしたい家の匂い
・匂いの不思議
・匂いと思い出
・香りが未来を創る
普段の生活の中でも、消臭剤とか芳香剤などがよく使われています。
匂いは一度気になると鼻につくものです。
一方、芳香植物の匂いを使って、
ストレスを解消したり心身をリラックスさせる
アロマテラピーも流行っています。
お香やフレグランスの種類も豊富に揃えられ、
生活の中に安らぎの瞬間を演出することができます。
香りのテクニックを住まいづくりに活かすことはできるのでしょうか。
🌿人間の五感
私たち人間はさまざまな刺激を、目や耳・肌・口・鼻で感じています。
光を見て、音を聞き、肌合いを感じ、味わい、匂いを嗅ぐことは、
視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚の5つの感覚です。
これらの感覚が、科学的に研究される中で、
ちょっと面白い話しがあります。
視覚は3つ、味覚は5つ、聴覚は7つ、そして触覚は、
1つあるいは2つの要素で感じているというのです。
目で見ている光は、さまざまな波長のうち、
緑色の波長である555nmを中心にして、
約400~700nmの波長の刺激を感じているものです。
見ている色彩は、色の3原色といわれるR(赤)G(緑)B(青)の組み合わせです。
そして、私たちが普段見ているカラーテレビも
この3原色で映像を再生しています。
口での味わいは、昔から5味といわれています。
甘・辛・塩・酸・苦の5つの味です。
ほとんどの料理の味も、これらの組み合わせで感じています。
子どもの頃に酸味や苦味が苦手なのは、
腐ったものや毒を判断するために過敏になっているのだそうです。
大人になって分別がつくようになると、
酸味や苦味もおいしく感じるようになります。
耳では空気の振動を捉えて、聞き分けています。
20Hzから20,000Hzの波長の空気の振動を感じる、
その波長を1オクターブの単位で分け、
音階を組み合わせて音楽を生み出しました。
1オクターブは、ドからシまでの主要7音階で区分しています。
人の肌は精度の高い、圧力センサーのようなものです。
精密なセンサーでも計測できない変化を、職人は指先で感じています。
温冷点や圧点などもありますが、基本は触れている感覚1つです。
では、鼻で感じる嗅覚というのはどうでしょうか?
ところが匂いを言葉で表現することは難しく、
しかも順応することで匂いを感じなくなることもあります。
実は香りについては、まだ未解明の部分が多く残されているのです。
🌿匂いの不思議
嗅覚の仕組みが分かってきたのは極めて近年のことです。
2004年のノーベル医学生理学賞で「におい」を認識し
記憶するメカニズムを解析したとして、
アメリカの2人の科学者、R.アクセル博士とL.B.バック博士に
賞が与えられました。
その受賞理由も「人類のもっとも謎に包まれた感覚」の
理解を高めたことにあります。
ほんの10数年前の話しです。
しかも3色・5味・7音階のように単純な組み合わせではなく、
約1000種の嗅覚受容体が働いているとあります。
さらに他の感覚は脳の視床下部経由で大脳に届くのに対して、
嗅覚は大脳辺縁系と連動して大脳の嗅覚野に届きます。
大脳辺縁系は脳の中でも最も古い部位の一つであり、
動物に共通する機能として関連している部位です。
そして情動や記憶の形成にも関わりの深い部位でもあります。
つまり人が感じている匂いとは、その人の記憶や思い出とも
深い関係にある感覚ということがわかってきたのです。
🌿白いと思い出
確かに嗅覚と言うのは、記憶に直結していると感じることがあります。
ある特定の匂いを嗅いだ時に、
まるでフラッシュバックのように昔の記憶を呼び覚まします。
たとえば塩素の匂いを嗅ぐと、
子どもの頃に一生懸命泳いだ小学校のプールを思い出します。
先生が消毒のために白い塊を投げ入れていました。
道に水を撒くと、埃が立つような匂いがします。
太陽が照りつけたひなたの匂いです。
真夏の強い日差しを思い出します。
新聞を開くとインクの匂いがします。
この匂いを昔の人は父親の匂いと感じている人も多いようです。
こうした匂いが記憶を呼び覚ます効果のことを、
プルースト効果と言います。
フランスの作家であるマルセル・プルーストが、
匂いによって思い出される幼少の記憶を書いた
「失われた時を求めて」という小説に由来しています。
匂いによって想起される記憶というのは無意識的なものです。
覚えようとしたり、思い出そうとしたりして意識されるものではありません。
しかし嗅覚と脳の関係から、私たちはごく普通に生活している中でも、
匂いと記憶を脳の中に刻みながら生きているのです。
また、日本人は匂いについても敏感で、
香道と言う芸術も築き上げました。
香道の世界では、香は嗅ぐのではなく聞くといいます。
この香道の中でも、源氏香では匂いを源氏物語の記憶と重ねて楽しみます。
使われるのは六国と呼ばれる6つの香りですが、
こうした香道に使われてきたのは、香木であり、
木材には色々な匂い成分が含まれています。
🌿匂いと健康
さらに一般的な木の香りにも、
人の健康に関するさまざまな効用があることも分かってきました。
木材が放つ芳香のフィトンチッドとは、
植物の殺菌作用を指した言葉です。
樹木が身を守りながら生長するために、
菌や害虫を排除する目的で獲得した能力のひとつです。
この樹木が出すフィトンチッドが溢れている森林浴をすれば、
人は生き返ったような気持ちになります。
木の香りにはリラックスしたり、ストレスを解消したりする効果があるのです。
しかも、フィトンチッドの含有量は日本の木材の方が多いといわれます。
木の匂いと言えばヒノキです。
ヒノキの香りには鎮静作用があることが、
脳波の測定から明らかになっています。
昔から憧れになっているヒノキ風呂は、
気分を安らげ疲れをとるベストな組み合わせです。
また、スギの香りが睡眠促進に効果があるという実験も行われています。
スギの香り成分であるセドロールと睡眠に関する実験です。
セドロールの匂いがあるのとないのとでは、
総睡眠時間も睡眠効率も変わります。
スギの香りによって睡眠の質が良くなっているのです。
日本の線香は、基本的に杉の葉から作られています
。乾燥させて焼いたものに水を加えて固めるだけで、
杉の葉のヤニ成分で固まり線香になります。
こうした香にも気持ちを落ち着かせる効果があります。
1986年に静岡大学農学部が行った
有名なハツカネズミの生存実験があります。
木製と金属製・コンクリート製のケージで、
幼いハツカネズミを飼育し、20日後の生存率を比較しました。
もちろん湿度や温度や給餌の条件は同じです。
結果は、木製のケージでは85%が生存し、金属製では約40%、
コンクリートでは7%しか残りませんでした。
温熱環境によってコンクリートでは体温を奪われた母ネズミが
授乳をやめたなど、多くの原因があると思われますが、
木の香りによるストレス解消も要素のひとつにあるのではないでしょうか。
この生存率のデータを反転させると死亡率のグラフにしてみると、
もっとショックです。
金属やコンクリートの匂いには、
動物を安らかにしてくれる匂い成分はありません。
嗅覚は他の感覚とは違い、
脳に直結して動物の本能にも直接的に影響を及ぼす感覚です。
動物が生存するために最初に身につけてきた感覚だからこそ、
臭覚は本能に近いのです。
まさに、生きるための感覚が嗅覚なのです。
その後も、木製のケージのネズミは温和で、
コンクリートのケージのネズミはストレスが高まり攻撃的になっていました。
🌲木の匂いがする家
香りと住まいを考えるのには、木の匂いのする家は、
最も大切な家づくりのポイントになるかも知れません。
しかし、昨今の住宅に匂いを設計することは、意外と難しいことです。
匂いについては、むしろ消臭の方向にあるといっても過言ではありません。
それは、今住まわれている住空間を見渡していただいてもわかると思います。
多くがビニールクロスで仕上げられ、
いつの間にか私たちは匂いのしない
化学物質で囲まれた現代的な空間に居ます。
残念ながら床にフローリングを採用しても、
傷の予防や質感を統一するために厚く塗装された
現代のフローリングでは、
新築時でも木の匂いがすることは少なくなりました。
そして、人工的な芳香剤で作られた
匂いの環境に慣らされてしまいました。
また、珪藻土や漆喰などのオーガニックな素材は、
匂いを吸収する機能もあります。
せっかくの木の匂いを活かそうとしても、
実際には意外と押さえられてしまうこともあります。
🌲香りが未来を創る
日本人は、古来より木の家を好んできました。
しかも、いたずらに塗装を重ねず、
木そのものの肌合いを大切にしてきました。
また、職人さんの技によって削られることで、
木の持つ艶の美しさが活かされてもいました。
さらには手をかけて磨かれることで、
色が深みを増し、新しい艶が生まれます。
それはとりもなおさず、木の匂いがする家です。
本格的な木造りの家ではなくても、
部分的に無垢の木材を使うことで、
木の匂いのする家にすることもできます。
メンテナンスなど、多少の手間がかかりますが、
木の匂いに含まれた不思議な力は、捨てがたいものです。
マンション暮らししか経験したことのない高校生が、
木の匂いのする家に入った時に「懐かしい匂いがする」
という印象を語りました。
木の家はまるで日本人の遺伝子に組み込まれている記憶のように感じます。
逆にその意味では、
これから育つ子どもやお孫さんを抱えた家庭では、
新しい家の香りの経験を重ねることはとても大切なことです。
その木の匂いを嗅ぐたびに、
親との触れ合いや感じたことを思い出すことでしょう。
たとえば育ってきた実家の風景を思い出す匂いはありませんか。
記憶を掘り起こすよりも先に、
匂いを思い出すと頭の中に情景が広がってきます。
今の家に育ち、大人になってゆく子どもたちのためにも、
実家の記憶となる匂いの設計も忘れないでおいて欲しいことです。
追記
・家の匂いというものも大事なデザインの一部だと思います。
新築の匂いが木の匂いだったら、これほど 素敵なことはありませんよね。
・匂いを感じる嗅覚は、五感のなかでもとても難しい感覚のひとつです。
動物にとっては嗅覚はいちばん大事な 感覚です。
餌も求愛も、そして敵も味方も匂いで 嗅ぎ分けています。
そして安らぎも、匂いの中にあります。
・匂いと記憶は近いところに中枢があり 匂いで昔を思い出します。
たとえば木の家の匂いで育った子供たちは 同じ木の匂いを嗅いだ時に、
自分が 育った家のことを思い出すかもしれません。
大切にしたいものです。
・ヒノキの匂いは有名ですが、
スギの匂い 成分のひとつであるセドロールは睡眠に 効果があります。
総睡眠時間が長くなり、途中で目覚める こともなく、
眠りに着くのも早く効率が 良くなります。