家のデザイン

家のデザイン

暮らし方で楽しむ家

 

・生活感のない家
・アメリカの街づくりから
・ファッション、グルメ・・・

 

まったく同じ空間でも、

家族の暮らし方によってまったく違う家に見えるものです。

そして、その空間を眺めると雰囲気やセンスの違いを感じます。

でも決して、家が主人公ではなく、そこに暮らす人が主人公です。

そして家のデザインを決めるのも、

その家での暮らし方であるはずです。

あらためて家のデザインとは何かを考えてみましょう。

 

生活感のない家

 

メーカー住宅のカタログを見ていて、

ちょっと違和感を感じることはありませんか。

確かにきれいで理想的な生活が描かれていますが、

どこか自分の生活とは違うと感じている人も多いのではないでしょうか。

 

では、建築家がデザインした家はどうでしょうか。

建築家の数ほどバリエーションがあって洗練されていますが、

ちょっと似ている違和感があります。

雑誌などで紹介される家は、住む前の完成したばかりの写真で、

いかにもデザインされた空間のようです。

 

とくに建築雑誌などに建築家の作品として掲載されているものは、

その傾向にあります。

家というよりも、空間のデザインが主題となっていて、

写真の撮り方も同様です。

多くのこうした写真の中では、

生活していれば必然的に増えてくる、さまざまな物が省かれています。

 

確かに空間のデザインを見るのであれば良いのですが、

その空間の中に現実の暮らしがあります。

最近では、ミニマリストという、

なにも持たないライフスタイルの人が取り上げられることもあります。

ミニマリストの家には、生活感はまったくありません。

 

彼らの口からは、物欲をはじめとするストレスから

解放された喜びを聞きますが、

きっと多くの人にとっては逆に大きなストレスになるのではないでしょうか。

家にある物の中には、

自分が必要として揃えているものもありますが、

思い出の品や、他人からいただいたものもあります。

これらをすべて処分し、

常に表に出さない暮らし方をしなければ維持できない空間では、

息が詰まりそうだと感じるでしょう。

 

生活感がないデザインには、もう1つの共通点があります。

揃えてある物が、なんとなく一気にコーディネートして

揃えたかのように感じるのです。

現実の生活の中では、その時その時の必要に合わせて、

少しずつ物を買い増していきながら生活空間は完成してゆくものです。

 

そして、生活をしているということは、

たくさんの足跡を残すことでもあります。

でも残念ながら、一気に揃えるのではないので、

トータルコーディネートというわけにはいきません。

その都度手に入れることで、少しずつコーディネートが

崩れた物が混じっていきます。

 

どんなに綺麗にトータルコーディネートされた家でも、

暮らしの歴史が組み込まれてくると、

画一化された感覚も薄まってきます。

このことを前提に考えれば、生活感がない写真には、

時間の経過や生活の歴史が感じられないということでもあります。

家のデザインの良し悪しが、キレイに見えるだけで良いのなら、

カタログや建築雑誌に載っている写真で良いでしょう。

 

しかし、あくまでも家よりも住む人や生活が主人公であるはずです。

その上でさらに生活の実感がにじみ出て、

素敵に見える家が本当にデザインの良い家ではないでしょうか。

 

アメリカの街づくりから

 

以前に、アメリカの街づくりの現場を視察したことがあります。

日本とは違う発想が随所にあり、とても勉強になります。

道路や土地の造成についても、決して日本が劣っているようには見えません。

それどころか技術的には、日本の方がしっかり作っていると思います。

 

たとえば、道路の工事の仕上がりも、

しっかりと土地を掘り下げ道路が水平になり、

水が流れることを考えて施工をしているのは日本の技術です。

ところが一方、アメリカの造成では、

高低差が大きくなければ地形はそのままに造られます。

ですから、道路も常に水平になっているとは限りません。

 

しかし、自然の地形を生かして造成しているといえば、印象は逆転します。

日本では水平にするためにコンクリートを膨大に使って築き上げるので、

コストがかかり、結果的には景観も損なわれます。

日本人は自然を敬い、自然とともに生きる民族だと聞かされてきましたが、

宅地の造成に関しては自然を征服しようとしているようにしか見えません。

 

また、街の中心部の道路も、歩行者に優先して平らになっているので、

車は速度を落として段差を超えなければなりません。

ところが日本では、車道が優先されて造成されています。

そして、その街の中心部の角地には、簡素な店舗があります。

 

日本であれば、間違いなくコンビニエンスストアになることでしょう。

ところがアメリカの分譲地にある店舗は、いわばライフスタイルショップです。

インテリアの小物から食器類、カーテンなどのテキスタイル、

そして簡単な衣類や自転車まで売られています。

この街に住めば、このようなライフスタイルを楽しめるという

イメージが湧いてくることが大事なのです。

 

日本人が品質と称して、技術的な裏付けや

利便性ばかりを求めているのに比べて、

アメリカの家では暮らしの質そのものを求めているように思えてきます。

他にも、モデルハウスの事例を見ても、違いを感じられます。

まったく同じ間取りの家を、ライフスタイルを表すモデリングの違いで、

どれだけデザインが変わるのかがわかるように展示されています。

 

頑丈で快適な家という住宅の性能は、普通にあるべきことです。

住宅の形としてのデザインではなく、家の主役は暮らしであり、

家のデザインは、住まい手のライフスタイルによって

決まっているということです。

 

ファッション・グルメ…

 

グルメやファッションといえば、

今の日本は世界でも有数の先進国です。

そのグルメやファッションは、ライフスタイルの中心的なテーマです。

日本では世界中のグルメが楽しめるばかりか、

日本のグルメが世界中に広まりつつあります。

寿司は世界の標準語になり、ラーメンを求めて来日する

海外の人も少なくありません。

 

蕎麦をすする音も、味の変化を知れば認める人も増えてくることでしょう。

ファッションも同様で、世界に名を馳せる日本のデザイナーも数え切れません。

コスプレを認める日本の風土は、先進のファッションの発信地となり、

原宿は世界の聖地になっています。

グルメにしても、ファッションにしても、

日本は世界の中でも、先進の国です。

それでは「住」はどうでしょうか。

 

中には畳や障子など、世界に認められているものもありますが、

逆に日本では失われつつあります。

しかし、じつは昔から日本の住まいは、高い評価を受けてきました。

さらに近年では、日本を訪れる海外からの観光客が増えるにつれて、

日本の住まい文化への理解度も深まりつつあります。

しかも日本の家には、匠の技術が生かされています。

 

宮大工に代表されるような職人術を使って木を加工すれば、

塗装するのと同じような耐水性と耐久性を、木肌が発揮してくれます。

それが本物の良さです。

しかし逆に、職人と素人の技能の差が大きいので、

家のことには手を出せないと感じている人も多くなります。

 

その点、技能の差が小さい欧米では、

一般的な家庭でもDIYの道具を揃えて、自分でも扱っています。

食や衣も、プロの料理する店で食べ、

デザイナーブランドで着飾っているだけでは、

文化になっているとはいえません。自分で料理するようになり、

服やアクセサリーの組み合わせを楽しむようになって、

グルメやファッションと呼ばれるようになりました。

 

それと同じ意味で、ライフスタイルデザインを楽しむ

「住」の呼び名が必要です。

たとえば、単純なインテリアという言葉でも良いのかも知れません。

インテリアに関する雑誌もたくさん発行されています。

そしてインテリアでは、十分にライフスタイルデザインとしての

個性を発揮することができます。

また、住まいながら歴史を重ねた時にこそ、

インテリアは趣きのあるものになります。

 

サスティナブルデザイン

 

インテリアデザインは、アメリカでも流行があります。

近年になって評価が高いのは、歴史を感じさせるデザインです。

それはサスティナブルデザインと呼ばれています。

サスティナビリティとは、持続可能という意味の言葉で、

環境時代になって良く聞かれるようになりました。

 

いつ枯渇して使えなくなるかわからない石油エネルギーではなく、

尽きることがない太陽光や地熱などは持続可能なエネルギーです。

またエネルギーの消費を抑えることも、サスティナビリティの要素です。

この言葉がアメリカでは、デザインの要素として考えられています。

たとえばインテリアデザインに古材を使い、

まるで遠い昔に建てられた印象をつくり出します。

 

家をリモデリングする際にも、

古民家を思わせるような古びた梁が架けられます。

このような古民家風の家に住むことが、

地球環境が問題になっている時代にふさわしい

ライフスタイルと考えられているのでしょう。

技術が好きな日本人の感覚からすると、

現実の環境に貢献するものではなく、

形だけ整えているように感じてしまう人も多いと思います。

 

でも考えてみれば、日本の数奇屋でいわれる

「侘び寂び」と変わりません。

技術的なことを検証するよりも、

侘び寂びやサスティナビリティの方が、よほど文化的です。

そして、技を磨いた大工や職人の手による

住宅の価値の高さが理解できるようになります。

逆に合理化されているはずのプレハブ住宅が、

このような家よりも価格が高いということには大きな疑問が残ります。

 

自分がライフスタイルとしてのデザインを楽しみながら、

さらに他人にも評価される家になれば、

これほど嬉しいことはありません。

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