
日本の家と和室
自由空間のあるゆとり
日本人の暮らしも洋風化すると、
一時期は和室もいらないという家族が増えました。
しかし一方、日本文化が世界に浸透すると、
和室の心地よさが見直されてもいます。
いまだに、和室に対する憧れも忘れられてはいません。
はたして和室を私たちは、
どのようにすれば良いのでしょうか。
日本人の住まい
日本の文化は、これまでにも注目を浴びる時期がたびたびありました。
北斎の浮世絵が、ヨーロッパの印象派にジャポニズムの影響を与えたことは有名です。
もちろん美術だけではなく、日本の食やファッションも、
今やいたるところで見かけられるようになりました。
歴史の中では、決して住まい文化も例外ではありません。
浮世絵が世界に渡っていた頃、
ドイツ人の建築家ブルーノ・タウトは日本を訪れ、
桂離宮を見て、「泣きたくなるほど美しい」と表現しました。
浮世絵がシンプルな縁どり線と構図で、
奥深さを表現しているのと同じように、
西洋の建築のような装飾性を抑えたつくりでありながら、
庭園と絶妙なバランスで調和しています。
同じように、もともと浮世絵にも深く興味を持っていたアメリカの建築家フランク・L・ライトや、
バウハウスを創設したドイツの建築家ヴァルター・グロピウスも、
桂離宮を訪れ絶賛しています。
モダニズムを代表するグロピウスの目で見て、
日本の建築の潔さは、
モダニズムそのものに感じていたのかもしれません。
それ以前には、アメリカの動物学者で、
大森貝塚を発見し発掘調査を行ったエドワード・モースは、
『日本人の住まい』をまとめています。
日本には3度にわたって来て、各地をまわり、
日本の住まいや暮らしぶりを写真やスケッチを駆使して残しています。
文化というものは、その中に浸って日常になってしまうと、
なかなか気づきにくいものです。
異国の違う文化の中で暮らした人の目で見るからこそ、
気づくことだと思います。
そして、建築などの専門家であるからこそ、
日本の生活文化の特徴を見抜く目を持っていたと考えられます。
しかし、一部の名の知れた専門家ばかりではありません。
日本の住まい文化に魅了された人は、他にもたくさんあげられます。
世界の大富豪であるロックフェラー家の自邸は、
日本の数寄屋大工が現地に赴き、
日本の様式で建てられています。
おそらく世界中を駆け巡り、様々な国の家で、
最高のもてなしを受けてきたであろう大富豪が、
建てているのは日本建築なのです。
ロックフェラーは自邸の建設の前に、
ニューヨーク近代美術館(MoMA)の草創期に、
日本の書院造の民家を建設しています。
それほど、日本の民家に魅せられていました。
その展示企画は、第2次世界大戦後のアメリカの新しいモダンリビングスタイルを啓蒙するためのものです。
著名な建築家の作品に続いて、
当時の近代住宅デザインが日本の伝統住宅に似ているということから、
吉村順三の設計で『松風荘』の建設が進められました。
MoMAに展示した後はフィラデルフィアに移されて現存しています。
ロックフェラー以外にも、世界最大の消費財メーカーである
P&G(プロクター・アンド・ギャンブル)社を創設したギャンブル家の2代目社長が、
ロスアンジェルスの高級別荘地パサディナに建てた住宅も、
日本住宅の印象が色濃く現れています。
そしてさらには、ビートルズのジョン・レノンも、
数寄屋の茶室を建てています。
日本の家は、海外の多くの人に高い評価を得ているのです。
書院と数寄屋
日本の住まいが、世界と大きく違うのは、
庶民が日常に住む家の中に、来客を想定した家をつくっている点です。
貴族の家や迎賓館ではなく、
古民家として残されている農家にも、
お客様をもてなす間があります。
土間や板敷きの空間に比べて、
畳を敷かれた部屋は、まさに和室の原型であり、
余分な家具などを置かなくても完成された空間となっていることが、
欧米の人々の目を引きました。
ところで、現代の私たちが見ている和室にも、
大きく書院造りと数寄屋造りの2通りの様式があります。
歴史を考えると、書院造りが古く伝統的で、
数寄屋造りが後から生まれました。
書院造りは、貴族の屋敷である寝殿造から派生し、
格式に応じて天井の仕上げも変わります。
また、床の間の原型となる押板や長押が空間を締めています。
質素な材が使われているにもかかわらず、
格式を感じさせる造りです。
数寄屋造りは、書院造りとは対照的なものです。
格式や身分を感じさせるような要素は極力避け、
自然のままの草庵を目指しました。
その名の通り、好き者が作意を凝らして造りあげているものです。
原点を考えると、書院造りは当時の都会的な洗練されたデザインであるのに対して、
数寄屋造りは野山に建つ田舎の小屋としてのデザインであったということです。
こうした和室の様式が生まれてから400年も経つと、
すっかりデザインの印象は逆転しています。
今でも日本中に残されている古民家の書院造りの和室には田舎の家の印象が濃く、
スッキリとデザインされた数寄屋建築の方が、
モダンで都会的なデザインに感じます。
さらには、様式や格式、身分から解放されたはずの数寄屋造りにも、
茶の湯の格式が高まるにつれ、
さまざまな建築デザインとしての流儀も定義されてきます。
それは結果的には、和室の使いにくさを生み出すことになります。
和室を使うことの難しさ
たとえば和室の床の間には、
どのような掛け軸を飾るのでしょうか。
もちろん、その掛け軸がどのような由来のものなのか知らずに掛けるわけにもいきません。
また掛け軸は、水墨山水画であれば、
光の表と裏があります。
書院の明かり窓の方向に表を合わせて掛けなければ、
せっかくの絵を殺してしまうことにもなりかねません。
水墨山水画の表裏の見分け方は、
落款の押してある位置で見分けられます。
落款が押してある方が裏で、
床の間に書院の光があれば、
その光の方向の反対側に落款が来るように掛けるのが、
正しい掛け方です。
さらには、季節によってかけかえることができるよう、
掛け軸を所蔵しておくことも必要になります。
そして水墨画の他にも、書がわかり、詩歌がわかり、
焼き物がわかり、生け花がわからなければ、
床の間は使いこなせないのです。
畳と障子の和デザイン
そこで和室というより畳の部屋と思えば、
もっと気軽にくつろげる部屋になります。
横になることも、アイロンがけや洗濯物をたたむのにも快適です。
畳の匂いも好きな人は多いでしょう。
畳と同じように障子も良いものです。
カーテンを取り付けるよりも、洗練されたモダンデザインになります。
そして、障子はどの空間でも和室のイメージにしてくれます。
寝室や子ども部屋はもちろん、リビングやダイニングも同様です。
ベッドやソファと障子の組み合わせが不自然なわけではありません。
結局、畳と障子の部屋をつくることを考えれば、
独立した和室はなくても良いということになります。
数寄の感性
ここでもう一度改めて、数寄屋が教えてくれたことを考えてみましょう。
もともと数寄とは好き者の意味で、変わり者ともいわれかねないほど、
新しいことに挑戦してきた者たちです。
ワビ・サビの感性も、格式よりも侘しいもの、寂れたものに価値を見出そうとしたものです。
本当は厚い天井材を使いながら薄物の材を使っているかのように細く見せ、
節がある材も、樹皮が残って角が欠けている材にも趣があると考えます。
そして三間四方の九間よりも、3畳~2畳の小間に魅力を見出します。
書院造りの床の間は、室町時代の押板から発生し、
そこには三幅一対の仏画をかけて三具足を置くのが原則です。
三具足とは、香炉と燭台と花器です。
ところが数寄者がこの格式を茶室で壊して、
簡素な床の間に変えました。
その床の間の使い方で、象徴的な話が残っています。
公家の山科家にいた数寄者の大沢久守がつくった新しいスタイルの床の間には、
飯びつや馬桶を置いて飾っていたといわれます。
とても正式な押板に飾れるものではありません。
また、千利休の弟子である古田織部は、
茶室の壁に小さな床板を埋め込んだだけの織部床を考案します。
それが数寄の感性です。
つまり格式をはじめとして、歴史や伝統にも縛られない、
自由が求められて数寄屋が始まりました。
まさに新しいデザインへの挑戦が、この時代にあったということです。
それを考えれば、茶室や和室の流儀にはこだわらずに、
現代の和室も自由に考えてつくっても良いのではないでしょうか。
好きなこと、好きなだけ
これからも間違いなく、日本を訪れる外国人は増えることでしょう。
そして、日本の思い出を自国に持ち帰ります。
昔の建築家や学者が、日本を訪れて生活文化や建物に感動したように、
日本人の家を訪問すれば、それも貴重な日本の思い出のひとつになるはずです。
たとえば、玄関先で靴を脱ぎ、家に上がることだけでも彼らにはない文化です。
素足で畳の上を歩けば、フローリングや石貼りはもちろんのこと、
カーペットとも違う感触を記憶に刻むでしょう。
障子のほんのりとした明るさが、部屋を優しくしていることを気に入ることでしょう。
そして、家具などがなくても洗練されたデザインの空間があることに、驚いてくれます。
日本という国が、静謐で穏やかで、衛生的な国であることが心にしみるはずです。
これらのことを想像すると、やはり和室は私たちに日本人に、
必要な部屋であると思えてきます。
そこで、少し贅沢をして、普通に生活できるだけの空間をプラスして、
自分が自由にできる空間をもうひとつ考えてみましょう。
アメリカ人であれば、それはおそらくガレージや地下室のイメージを持つかもしれません。
工具を揃え、自分の趣味を満喫する部屋にします。
それが、日本人であれば和室です。
アメリカのように大きな空間ではなく、たとえ3畳ほどの小さな空間でもかまいません。
家具を置いてしまえば、部屋は用途が決まってしまいます。
かといって単なる空き部屋では物置となります。
畳を敷き障子を入れた部屋というのは、
何もなくても成り立つ空間です。
和室の造作というのは、もしかしたら日本人の空間デザインの大発明なのかもしれません。
それでいて、数寄の心を忘れなければ、何も格式に捉われる必要はありません。
好きなことを、好きなだけ、好きなように設えれば良いのです。
自己満足もあれば、人に見せて感心してもらうのも楽しみのひとつです。
そして、暮らしが豊かになるもの間違いないことだと思います。
家の中に自由があることは、まさに、
ゆとりがあることに通じるのです。