おうちの話

玄妙なるところへの関門おうちのはなし129

玄関の使いこなし方玄妙なるところへの関門

・内開きと外開き
・茶室の玄関
・世俗の不浄を落とす場所

玄関のもともとの意味は、「玄妙なるところへの関門」とされています。また玄関に対する考え方は、西洋と日本では大きく違うようです。家の玄関を、私たちはどのように使いこなせば良いのでしょうか。

🏠内開きと外開き

知っている人も多いと思いますが、玄関ドアは、日本では外開きで、西洋では内開きになっています。昔の日本の家は扉はほとんどが引戸でした。それなら外開き扉は現代の玄関扉の事情のように思えますが、もし周辺に蔵が建っていたら確かめてみてください。おそらく外開きの扉になっていると思います。

社寺建築でも扉の多くは外開きになっていて、門だけは内開きです。この内開きと外開きの違いには、諸説があります。あなたはどの説に、一番共感しますか?

①西洋の来客文化
パーティなどが多い西洋では、ゲストを招き入れるのに内開きの方が良い。

②西洋の立地条件
前面道路に余裕のない西洋の立地では、外開きにすると通行人に当たってしまう。

③日本の気象条件
雨の多い日本では、内開きにすると水が入り込みやすくなってしまう。

④日本の上足文化
日本人は玄関の中で靴を脱ぐので、内開きだと脱いだ靴が邪魔になってしまう。

⑤日本の平和
敵が攻め込んできた時に、内開きであれば押し返したり物を置いたりして簡単に開けられないようにできる。扉の蝶番も内側にあるので、壊すこともできない。平和な日本には、あまり必要性がなかった。

 

どの説にも一理はありますが、疑いたくなる側面もあります。でも日本人が外開きにしてきたのにも、何かわけがあったのでしょう。

🏠玄妙なるところへの関門

さてこの玄関ですが、古い家になるほど玄関の意味合いは違っていました。そもそも、玄関の名の由来は「玄妙なるところへの関門」とされています。では、「玄妙なるところ」とはどこのことでしょうか、そして「関門」の意義はどこにあるのでしょうか。

「関門」とは、関所あるいは関所の門であり、通るのを規制しているところです。つまり外と内を仕切っている場所であり、関門から外に出れば異国になります。

ところが、関所というのは同時に、ふたつの領域を結びつけている場所でもあります。つまり仕切る役割と結びつける役割が同時にあるということです。そして家の玄関を考えると、関門の外は社会であり、内が家庭となります。おそらく、このどちらかが「玄妙なるところ」なのです。

🏠玄関と縁側

ところで、日本の伝統住宅で玄関を語るためには、縁側を考えないわけにはいきません。縁側は日本的な風景として象徴になる場所です。玄関とは別に、縁側から人の出入りが見られ、また室内へ自然を取り込む空間としてもよく紹介されます。

内でもない外でもないこの縁側は、文字通りに「縁」をとり持つ、つまり「結び」の役割を果たしている場所になっています。同じように古民家には土間もあって、家人はもちろん、家畜と収穫された農作物が普段から出入りしています。この土間も、家の外と内を結びつける役割を果たしています。一方、文化財にもなる豪農や組頭の民家には、縁側や土間の他に、立派な玄関が作られています。

そして、玄関はむしろ特別な時に使われるものでした。たとえば結婚式を行なうようなハレの日とか、この家の家長よりも格の高い客人を迎える時に使われます。やはり、日本人の玄関の考え方は少し違うようです。

🏠茶室の玄関

日本人ほど普通の家に客間を設けている国はありません。最近でこそ少なくなりましたが、必ず客間の和室があったものです。日本人が人を迎え入れるための究極の建物が茶室です。この茶室の玄関はどうなっているのでしょうか。多くの人が知っている有名な話しは、茶室の入り口のにじり口です。

誰が訪ねてきても、刀を外し、頭を下げて潜らなければ、茶室に入ることができません。すべての人を平等に扱うための仕掛けです。でも、もっとよく調べると、さらに奥深い仕掛けが仕組まれています。茶室における玄関は待合ですが、広い意味ではさらに露地を通ってにじり口までが玄関です。

待合で顔合わせをして休んでいる合間に、互いの関係を確認して、あらかじめ席次を決めます。ですから茶室では、客は一人ずつ静かに入って席につくことができます。茶室に着くまでは、樹木や草花の豊かな庭の小径を通って、自分自身の存在を噛みしめ、気持ちを新しくします。世俗を廃して、本性を露にする場所が宮地です。さらににじり口が待っています。

意地もにじり口も、どちらも新しい気持ちになることをテーマとしていて、そこを通る前と後で、気持ちを切りかえることが求められています。まさに玄妙なるところへの関門として、世俗を振り払うのが玄関の役割であり、結びつきの場所ではありません。

🏠TDLの魅力の訳

気持ちが切り替わると、同じものでも違って見えるようになります。また、人の気持ちを慮って有り難く感じることもできます。

その気持ちの切り替えを、忠実に守り成功している事例が東京ディズニーランドです。同園にはさまざまなアトラクションがありますが、待合から信地を通ってにじり口に進むように、アトラクションに乗る前に、列を作って並ぶところに、茶室の露地の作庭にも似たしかけがあります。

並びながら前後の人の顔を覚え、時には隠れミッキーを発見することで会話を交わすことも生まれます。そしていよいよアトラクションに乗る直前に、周囲が暗くなりゲートを潜るのは、まさににじり口の役割です。たとえディズニーランドでも、並ばずにそのまま乗ってしまえば、単なる乗り物に乗った感覚で終わってしまいます。

それなら、ディズニーランドよりもスリルを味わえるジェットコースターは、他にもたくさんあります。多くの人は、ディズニーランドがゲストを「迎える」気持ちが高いと評価します。しかし、ディズニーランドの本当の魅力は、社会という複雑な世界からたとえ一時でも気持ちを捨てて、無心にさせてくれる瞬間にあるのです。

🏠玄関の使い方

この気持ちを切りかえる仕切の場所というところから玄関を考えると、さまざまな玄関の作り方や使い方が見えてきます。庭の小径やにじり口の例にあるように、むしろ小さく細くつくることの方が適しているかも知れません。少し遠回りさせるようなアプローチも、大事な玄関のデザインとなります。

庭木の枝が少し通路にはりだして、遊けるように歩くことも洒落の1つです。袖すりの枝と呼べば、客人も主人の意図を深く感じることでしょう。また、たとえば玄関には、大きな窓もいらず、少し暗い方が良いかもしれません。まるでトンネルをくぐったときのような効果で、気持ちが切りかわることを期待させます。

ここまで理解が進めば、外開きの玄関扉も大きな意味を持つことになります。外開きの扉は家の中に入る時には、一歩退かなければ開けられません。このたった一歩退くことが、にじり口で頭を下げるのと同じ気持ちにさせてくれます。

世俗に汚れた社会の垢を、この退く一歩で振り落として、守るべき家族のいる家中に入るのです。たかが扉一枚の動きの話しですが、玄関扉をそのように使いこなすことができれば、家庭を守ることができます。ただの出入り口と思っていた玄関が、家族の幸せを守るための空間として生まれ変わります。

🏠玄関上がり框

また、日本の玄関で、扉以上に気持ちを「切替える」役割を担っているのが、上がり框です。日本の家では皆、靴を脱いで家に上がります。欧米の生活様式をどれほど受け入れても、上足の文化だけは守り続けています。上がり框には、明確な段差をつけ床柱と同じように選び抜かれた木材を使います。

同じように、家の中でも私たちは和室に入るときにはスリッパを脱いで裸足になります。たとえ段差がなくても、自然と畳を意識しています。ですから畳に上るといいます。上足に関するこのような行為が、気持ちを切替えるための大切な儀式であると感じられる人はたくさんいることでしょう。

🏠世俗の不浄を落とす

家の外は、いわゆる社会というパブリックの場です。社会に出れば、いろいろと嫌なこともあり、これらの不浄を家庭の中に持ち込んでは幸せな家庭が危うくなりかねません。茶室のつくりに教えられることは、「玄妙なるところ」とは、自分の家庭であり自分自身ということです。

しかし、世俗をぬぐい落とすことは思うほど簡単なことでもありません。だからこそ、待合-露地-にじり口と重ねる必要もありました。門扉をカタリと開けたとき、アプローチにある袖擦りの枝にさらりと触れたとき、玄関扉を一歩退いて開けたとき、すべてが気持ちを切替えるためのきっかけになります。

そして靴を脱いで上がり框に足を掛けたときには、世間の不浄は振り落として家庭の一員として生まれ変わります。それは今の家でもできることですが、たとえばちょっとだけ玄関周りをリフォームすれば、気持ちが変わるかもしれません。できれば少し玄関の空間を広げれば、思いもかけないほど贅沢な空間に生まれかわります。

できることであれば、世俗とは一線を引いた、気持ちを切替えた世界を持ちたいものです。なかなか適わないものですが、今住んでいる住まいにも、気持ちの「切替え」ができればその願いを果たすことができます。その装置が玄関です。そして、家を使って人生を豊かにすることができるのです。

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